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”日本のウェブを明るくしたい”――『シリコンバレーから将棋を観る』翻訳プロジェクトリーダーに聞く(後半)



(前半はこちら)

Crowdsを巻き込むためのクローズドコミュニティ

――どんなサービスを使って、メンバー間の連絡を行ったのか。そのサービスを使った理由もあわせて教えてください。

「英訳文はGoogle ドキュメントで共有し、それに対する議論はGoogle グループで行いました。

なぜGoogleを利用したかには特に理由はなく、強いて言えば、ただ単にITにあまり強くない僕がGoogleくらいしか知らなかったのと、メンバーの一人が「翻訳の質問やメンバー情報の共有も容易かと思うのですが」とGoogle グループを提案してくれたことが挙げられます」

――最初の訳出段階で、オープンではなくクローズドのコミュニティにした理由はなぜですか?

「このプロジェクトにとって何よりも大事だったのが、Wisdom of Crowds(群衆の叡智)の元となるCrowds(個)を巻き込むことでした。このためには何がベストなのか悩みました。最初に協力者を募集した僕のエントリーへのはてなブックマークで「少数名で予め叩き台を一通り用意しておくってのはかなり良いね。大抵のWikiは始めから開放して拡散して自然消滅してるし。」とコメントされていたことにも後押しされ、「白紙のGoogle ドキュメントをCrowdsに提供してもそこから大きな英訳の動きが生まれることはないだろう」との考えに至りました。ひとまずはクローズドのコミュニティで「予め叩き台」を用意して、それを公開したほうがCrowdsが英訳に取り掛かりやすいだろうと。

コミュニティへの参加者を10人で打ち切りにしたのは、訳し始める段階であまりにも参加人数が多すぎては、始める前に細々とした翻訳上のルール決めなければならないだろうと思ったからです。そこに無駄な時間はかけたくなかった。さらに、一見、人数を増やせば英訳のスピードが増すように思えるのですが、実際にはメンバー間の意思疎通に無駄に時間がとられて、逆にスピードが落ちるのではないかと思ったのでした。

途中でメンバーを増やすべきだという指摘は何回も出たのですが、「このメンバーならきっとできる」という根拠のない確信があり、また、LingrとRejawサービス終了の反省として、インフォテリアUSA社長の江島健太郎さんがおっしゃられていた

4人というのはやはり大所帯だった。
・・・(中略)・・・
「少数精鋭」を突き詰めると、究極的には1人になるということでしょう。そして、人数が多くなると「スピード」の遅さに直結します

という言葉が、頭から離れませんでした」

最短距離で一般公開というゴールに突き進むことができた

――メンバーが、コミュニケーションの際に気をつけていたことなどがあれば、教えて頂けますか? また、薬師寺さん自身が、リーダーという立場でプロジェクトを回していく中で、気をつけていた点も教えてください。

「メンバーがコミュニケーションの際に気を付けたのは、まず、Google グループ上で議論された記録をすべて読んで理解してから議論に参加することです。これによって、重複した無駄な議論というのはなく、最短距離で一般公開というゴールに突き進むことができました。さらに一人ひとりが、「公開するからにはより良い質のものを公開したい」という思いを持っていたので、気になった点は遠慮せずに指摘し合ったこと。将棋の知識・英語力・年齢に拘らずにお互いに遠慮なく意見をぶつけ合える環境を作るようにしました。

僕自身が、リーダーとしてプロジェクトを回すために特別何かをしたということはありません。というよりも、放っといてもメンバーが勝手に各々必要だと思ったことをやってくれたためにその必要がなかった。やったことといえば、オープンソースを使って英訳をするというアイディアを提供したことと、英訳終了期日を5月5日という無謀としか思えない日に設定したことくらいです」

――仕事の過程で分担が分かれていったようですが、どのようなプロセスでそうなっていったのでしょうか?

「分担が分かれたのは、メンバー一人ひとりの意思による極めて自然な流れでした。実際に訳し始めてみて数日経つと、どうしても各々の英語力に比例して、訳の進み具合にメンバー間で差が生まれてしまっていました。

そこで、英語にあまり自信がないメンバーは、「英訳の面ではあまり貢献できなさそうだから、プロジェクトを回す上で必要な他の点に貢献するよ」と率先して動いてくれたのでした。例えば、「長文は訳せないけど、将棋の専門用語だったら訳せるよ」というメンバーは、上がってきた訳に全部目を通して専門用語のチェックをしてくれました。他には「英訳はできないけど、図面だったら英語で作れる」だとか、「叩き台の一般公開をした際にどのサービスを使えばより効率よくWisdom of Crowdsを活かせるか」を検討する人が出てきました」

――ブログを拝見していると、「スピード感」に非常に拘っておられるように思いますが、その理由は何なのでしょうか?

「メンバー一人ひとりが高いモチベーションを維持してこのプロジェクトに関わり続けられるのは、そう長い期間ではないだろうと思ったのが一点。もう一点はWisdom of Crowdsを最大化させるには、少しでもこのプロジェクトに興味を持ってくれる人を増やす必要があったということ。短期間で終わらせることで、「凄いな!」だとか「どーせ、ひどい訳なんだろ、読んで笑ってやろう」などと思ってくれる人が増えるといいなという期待がありました」

"WE WANT TO BRIGHTEN THE NOW GLOOMY JAPANESE WEB"

――このプロジェクトは、「オープンソース的協力」の体制へ本格的に移行していますが、不安に感じている点などはありますか?

「僕がこのプロジェクトに乗り出した当初、メンバーの一人にこんなメールを送りました。

opensourceで英訳が上手くできるのかって言う確信と実感がおれにはまだない。あちら側の過小評価って思われるかも知んないけど。。。

今は確信と実感に満ち溢れています。実際に、驚くほど多くの方に訳文を読んで・修正して頂いています。
ただ、ここから先、更なるCrowdsを巻き込むためには更なる努力が必要だろうと思っています。というのは、今現在はただ単に訳文をWikiにどんっと載せているだけで、読んでみようと思ってくれた方がどうしてもその分量に圧倒されてしまって、どこから取り掛かっていいのか分からないという状況ではないのかなと思うんです。だから今後の課題としては、いかにして訳文を魅力的に提示するかというのをを考えないといけない、というのがあります。「問題があると解決せざるをえない」と、より多くの人に思ってもらうのがメンバーのこれからの役割だろうと考えています」

――読者の方へ、何か一言あればお願いします。

ブログにも書きました、

"WE WANT TO BRIGHTEN THE NOW GLOOMY JAPANESE WEB"
そうです。僕たちは日本のウェブを明るくしたいんです。揚げ足取りのネガティブなウェブから高め合いのポジティブなウェブへ。

これこそがこのプロジェクトが伝えたい一番のメッセージです。このインタビュー記事を読んでくれた方一人ひとりに「高め合いのポジティブなウェブ」の主人公に是非なってもらいたい。「独り言のようなトラックバック」でもよし、新しいアイディアでもよし、一人ひとりがウェブ上でポジディブなことをつぶやいていけば、それに反応してくれる人がきっとどこかにいる。日本語ウェブはまだまだ発展途上です。けっして、立ち直れないなんてことはない。まだまだこれからなんです」

梅田望夫氏が観た『翻訳プロジェクト』

ところで、今回の彼らの仕事ぶりを著者である梅田氏はどのように眺めているのだろうか。梅田氏にメールを送って、その感想を聞いてみた。

――「えっ、連休の間に翻訳ができちゃったの?」というタイトルのエントリーを書いておられましたが、正直なところ、どのくらいの時間がかかると思っていましたか?

「英訳なら英語のできる人の母数が多いから、一年くらいのうちに、ひょっとしたらできるかもしれない、と期待していました。でも他の言葉は無理かなというのが正直な予想でした。それが英訳は10日たらず、そして仏訳もすでに始まったのには驚愕しています」

――今回の「オープンソース的協力」による翻訳プロジェクト、不安に感じている点はありますか?

「特にありません。Nothing to lose(失うものは何もない)だからです。もし問題が起これば、そのときに解決すればいいのです。不安によって何かが前に進まないデメリットのほうが圧倒的に大きいと思います」

「文系オープンソース」の可能性を探る壮大な実験

これまでのインタビューで、「オープンソース的協力」という言葉が何度も出てきたことが気になっている人もいるかもしれない。

梅田望夫氏は、4月20日の例の宣言のあとの、5月1日にこんな文章を記している。

「ウェブ進化論」以降の一連の著作の中で、オープンソース現象や、オープンソース的協力の可能性について論じてきた。そして、同時代的に実験が続いていてまだ解がはっきりわかっていない「オープンソース的協力の成立要件」について、これまでずっと考え続けてきた。そしてその大切な要件のいくつかを満たす条件が整うチャンスがあれば、自分でも挑戦してみようと思っていた。

  • プロジェクトの中核に、尋常でない情熱が宿っていること。
  • そのプロジェクト自身に大きな意義がありそうに思えること。
  • プロジェクト・リーダーの私的な利益に供しないこと。
  • オープンソース的協力がなければプロジェクト自体が成立しないだろうこと。
  • プロジェクトに参加するために必要なスキルがわかりやすいこと。

これらが「オープンソース的協力の成立要件」についての結論というわけではないのだが、今回「シリコンバレーから将棋を観る」という本を「何語に翻訳しても自由」と宣言したのは、この五つの条件を満たしていたからだ。

梅田望夫氏は、以前から『ウェブ時代をゆく』などの著作で、文系分野へのオープンソースの応用についての興味を口にしてきたが、彼は今回の本の翻訳作業ならば、「オープンソース的協力」が可能になるのではないかという見込みを立てたのである。

実のところを言うと、文系分野における「オープンソース的協力」、すなわち「Web上で、不特定多数の人間が、それぞれの知識をや技術を持ち寄って、課題を解決していくプロジェクト」(本来の意味でのオープンソースの定義については、OSG-JPによる日本語訳を参照)は困難であると言われることが多く、前例も決して多いとは言えない。

その理由として、しばしば挙げられるのは、「ソースコードに比べて、文系分野では『客観的』な評価基準に基づく議論がしづらい」という点である。(多くの場合)「速さ」と「正確さ」という検証可能な指標を設けて議論できるソースコードに比べて、文系分野においてはどうしても客観的に検証不可能な「真・善・美」という価値の領域へと踏み込んで議論する場面が多くなってしまう。人数が増えるほどに、こうした議論が煩雑なものになっていくのは想像がつく。今回の「翻訳」という作業にしても、比較的、検証可能な指標を設けやすい分野であるが、それでも曖昧な領域は残っているはずだ。

だが、注意すべきなのは、そもそも文系分野における「オープンソース的協力」は、まだ何らかの結論を出せるほどの数が試みられたわけではないということである。上の話にしても、実際のプロジェクトから導き出された結論ではなく、実例が少ない理由を説明するために持ち出された議論でしかないように筆者には見える(そして、ある程度、Webに詳しい人間でもなければ、オープンソースという概念の存在そのものを知らないのだ)。仮に上記のような問題があったとしても、それを回避、あるいは克服するための条件はまだ十分に研究されてないのではないか。

今回の彼らの仕事は、言わば、そんな前例の少ない「文系オープンソース」の可能性を探る実験の、第一段階の作業に当たると言えるだろう。まだ実験全体の成否は出ていないにしても、その第一段階において彼らが何を考えて、どんな工夫の下にプロジェクトを回していったのかを、このタイミングで聞いておくのは、大きな意義があったと筆者には思われた。今回の仕事は、単に梅田氏の本を英訳するだけのプロジェクトではないのだ。

そしてまた、薬師寺氏は"WE WANT TO BRIGHTEN THE NOW GLOOMY JAPANESE WEB"とも書き記している。彼はこのプロジェクトを、日本語圏のウェブに自分たちの信じる空間を作り上げるための「土台」作りとさえ考え始めているのだ。何ともスケールの大きな話だが、彼らがいま身を置いている場所には、そんな言葉が自然と出てきてしまうような、不思議な磁場があるのかもしれない。

現在、彼らの作った訳は、

で公開されており、多くの人がより良い訳にするために、今も頭を振り絞り続けている。今回のインタビューで、このプロジェクトに興味を持たれた方は、ぜひ参加してみてはどうだろうか。そこには、きっとワクワクできる素敵な体験が待っているに違いない。


シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

  • 作者:梅田 望夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2009/04/24
  • メディア: 単行本

文: 稲葉ほたて

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