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結局、ディカプリオは現実に戻れたの? 『インセプション』の感想&考察まとめ


■ 夢を使って他人にアイディアを植え付ける!?

今回の『インセプション』は、ノーランが2002年頃から温めていた脚本をワーナーブラザーズが買い付けて製作されたという、上映2時間半に及ぶ大作映画。ノーランのオリジナル脚本作品としては、ガイ・ピアース主演で前向性健忘症の主人公を描いた2000年の『メメント』以来、実に10年ぶりとなります。

映画の舞台になっているのは、人間が他人の夢の中に入り込んで、思い通りの夢を見せたり、相手のアイディアを盗んだりすることができてしまう架空世界。物語の筋は、「ライバル企業をつぶしたい」という事業家サイトー(渡辺謙)の依頼を受け、コブ(レオナルド・ディカプリオ)の率いるチームが夢を利用して、 その企業の御曹司に会社を破滅に導くようなアイディアを植え付けるべく夢の中で奮闘するというもの。

夢の世界を物語にしたと聞くと、なんでもありの映像表現が次々に流れてくるような、しばしば見かける混沌とした映画を想像してしまいますが、この作品は違います。本作では、夢の世界に例えば以下のようなルールが設定されており、その制約が物語に構造と高揚するサスペンスを与えているのです。

  • 夢の主の無意識が侵入に気づくと、異物を排除するべく攻撃を仕掛けてくる
  • 夢の中で死ぬか、あらかじめ定められた刺激(「キック」)を与えられると目覚める
  • 夢の中では、時間の流れる速度が1/20になる(夢の中で夢を見た場合には、さらに1/20倍になる)
  • 夢の階層が一つ下の世界で内耳に加えられた刺激(例えば、加速度運動など)は、その夢にも影響を与える

これらはやや煩雑なルールに見えるかもしれませんが、そのどれもが物語の前半で極めて印象的な映像表現とともに登場するので、観に行った人は特に苦もなく物語世界の中に入っていけるのではないかと思います。

■ はてなブックマークで話題の感想&考察エントリー

さて、そんなこの映画について、はてなブックマークではどんな記事が話題になったのでしょうか。

<作品情報>
まずは作品についての情報から。

一番上の記事は、作中で登場するキャラクターや世界観の設定を紹介したもの。ノーランのインタビューも掲載されています。二番目の記事は、作中で出て来る印象的な旋律が、実は「キック」の際に使用されるエディット・ピアフの歌をスロー再生したものであると紹介したもの。この話のミソは、単なる音楽的な実験ではなく、そこに物語上の意味があるということで、ノーランの徹底的にこだわり抜いたアーキテクトぶりを示すエピソードと言えるでしょう。最後の記事は、2ちゃんねるの『インセプション』について語るスレッドをまとめたものですが、記事後半にある作中における夢の階層構造について整理した画像が役に立ちます。

<映画感想・映画評>

次は映画評を多く書いている人気ブロガーたちによる感想記事です。

映画ライター・前田有一氏の公式サイト「超映画批評」が65点と辛口ですが、基本的にはかなり好意的な感想が多いようです。他にはてなブックマークで話題になった映画評としては、以下が参考になりそうです。

一番上の記事は、キューブリック監督『現金に体を張れ』など、古くからある”ケイパーもの”(参考:ケイパームービー)の系譜にこの映画を位置づけて、キャストについて論じたもの。彼によれば、「これ以上は望むべくもない、完璧な配役」ということでした。二番目の記事は、この物語が映画というメディアで表現された必然性について指摘したもの。派手なシーンばかりが語られがちなノーランの、さりげないラストシーンの演出に見られるような繊細な手腕についても指摘されています。三番目の記事は、実は大作に見えてプロットとしては小品なのでは? と指摘したもの。文章の最後では、ノーランのフィルモグラフィーの中に、本作のテーマを位置づけています。最後の記事は、米国在住のジャーナリスト・冷泉彰彦氏による記事。現代の米国文化に日本のサブカルチャーが与えてきた影響を、かつてのハリウッド映画のようなリアリズム観から逸脱した本作の大ヒットに見出しています。

また、ロフトプラスワンのイベントでの映画評論家・町山智浩氏による評も話題になりました。講演動画は一定期間の公開後に削除されましたが、そのザックリとした要約がこちらのエントリーで紹介されています。

本作の映像表現に過去の映画史からの影響を指摘してみせ、また本作のテーマを、押井守監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』や『マトリックス』など多くの現代映画が描いてきた、「これは現実ではないかもしれない」という「疑い」そのものへの反省と解釈してみせるなど、非常に充実した内容だったようです。

■ 結局、ディカプリオは現実に戻れたの?(ネタバレ注意)

さて、そんな映像技術からストーリー、キャスティングまで大絶賛状態の本作ですが、一方で観客の間では一つの論争が起きているようです。それは、ディカプリオ演じるコブが最後に現実に戻れたのかということ。


※注意! 以下の文章には、公開中の映画『インセプション』の結末に関する重要な情報が含まれています。


本作は、子どもたちの待つ家に戻ってきたコブがコマを回し、それが倒れるか倒れないかという微妙な場面で、突然の幕切れを迎えてしまいます。ここでコブが回していたコマは、彼にとって夢か現実かを判断するための道具(「トーテム」)となるもの。もしコマが回り続けてしまったとすればラストシーンは夢だったということになり、あれほど強くモルを拒否して現実に戻ってきたディカプリオの努力が全て無駄だったということになります。
この問題については、映画を観た人の間で様々に議論されてきました。作中で「虚無」にまつわるルール説明が舌足らずになっていることもあり、ユーザーの間でだいぶ意見が分かれていますが、公開から時間が経って、それなりに議論が蓄積されてきたようです。

以下のエントリーは、海外の映画データベース「IMDb」で集まってきた考察を紹介しているものです。

  • オープニングでのコブは結婚指輪をしている。以降、コブが指輪をしているのは夢の中だけ。そしてエンディングでは、指輪をしていない。
  • コブの夢のなかで出てくる子供たちと、エンディングでの子供たちは、着ている服が微妙に違っている。
  • エンディングでの子供たちは夢のなかと同じ年齢であるように見えるという指摘がIMDbへのコメントでも多数見られるが、キャスト・クレジットをよく見ると、子供たちは二組によって演じられていてそれぞれ2歳ぐらい年が離れていることがわかる。つまり、エンディングでの子供たちは夢のなかよりも時間が経過しているということがきちんと意図されている。

このエントリーによれば、ディカプリオは現実に戻ってきたということになります。実際に映画館で確認してみると分かりますが、コブの指にはめられている指輪はかなり大きなものですし、子どもたちのうち、姉が履いている靴は、回想シーンでは「黒」でラストシーンでは「赤」という、かなり色の違いが目立つものです。パッと見ただけでは分からないけれどもよく見ると際だってくるような特徴をわざわざつけているあたり、少なくとも筆者はそこに監督の意図を感じました。
ただし、ラストシーンの指輪に関しては海外でもいまだに論争が続いており、実は結構な数のユーザーが、コブが左手に指輪をはめていないと断言できるクリアな映像はなかったとしています。おそらく、コブが最後にコマを回す手が指輪をしていなかったことから、「指輪をはめていない」としている人が多いのだと思いますが、筆者の記憶ではそれは右手であったはずです(もし左手に指輪がないと確認できるショットを見つけた方がいれば、はてなブックマークのコメント欄などでご教授いただけるとありがたいです)。
ところで、上のエントリーの著者は、こうしたIMDbの考察を紹介したあとで、このラストシーンで重要なのは、コブがコマが倒れるかどうかを確認しないまま子どもたちの待つ庭へと出ていったことであって、実際に現実かどうかはあまり本質的ではないとしています。非常に面白い解釈であり、先に紹介した映画評論家・町山氏の議論と通じ合うところのあるものです。興味のある方はぜひ一度読んでみてください。

文: 稲葉ほたて

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