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「一発屋」から「世渡り上手の毒舌芸人」に―ネットで辿る芸人・有吉弘行


ユーラシア大陸横断から一転、受難の時期

有吉弘行 - Wikipedia

90年代のある時期、有吉は『猿岩石』というお笑いコンビの片割れとして日本中知らない人がいないほどの有名人であった。日本テレビのバラエティ番組「進め!電波少年」で、お笑いコンビ猿岩石として「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」に挑戦したことが話題を呼び、帰国後には一躍時の人となったのである。ヒッチハイクからの帰国時には西武球場で凱旋ライブが行われ、旅行記「猿岩石日記」がシリーズ累計250万部、CD 「白い雲のように」が130万枚を超える売り上げを記録したと聞けば、当時の状況を知らない人にも、彼らの人気が想像つくのではないか。

だが、有吉らがこの企画に出たのは、太田プロに正式に所属して2ヶ月目だったらしい。つまり、彼らは着実な下積みの経験を重ねることの無いまま、しかもお笑いの実力とは全く関係の無い企画によって、瞬く間に大ブレイクを果たしてしまったのである。それ故、その転落も早かった。帰国後こそテレビに引っ張りだこだったものの、2年ほど経つうちには彼らの姿をテレビで見かけることは、ほとんど無くなってしまったのである。

元猿岩石の有吉が語る、毒舌で再ブレイクまでの芸人半生 辞め時は他...

このインタビューで、当時の状況を有吉はこう語っている。

何がなんだかわけがわかりませんでした。まるで1日で人気が出たかのような錯覚を起こしてしまいました。なんでだろうっていう戸惑いばかりがありました。
歌を出したのも、戸惑いながら状況に流されてやったことの1つです。状況が自分の中でしっくりきたことは一度もなくて、僕はお笑いを志して東京に来て、ライブに出て認められて、というのを目指しているのに、いったいこれは何なんだろう、いつまでやるんだろうって。

――目指していたのとはまったく違うかたちでの「成功」をしてしまったんですね。

目指していたのとは違ったのなら、あのとき歌を断ればよかったじゃないか、お笑いで単独ライブでもやればよかったじゃないかっていう人もいました。でもいろんな大人が集まってみんなでやっていることで、たかだか21、2のガキがそれを断るなんてできませんよ。断ったらクビになるんじゃないかと思っていましたもん。あのころは状況に流されるしかなかった。

結局、その後は鳴かず飛ばずの時期が長く続き、ついに2004年にコンビは解散(解散理由は「方向性の違い」)。有吉氏はピン芸人の道を歩むことになる。とは言え、この受難の時期にこそ、彼の現在の活躍の下地が作られていたようだ。上のインタビューでは、哀川翔の物まねやあだ名の命名が、この時期に生まれたものであることが明かされている。また、この時期に彼が出演していた内村プロデュースでの、大喜利での活躍や意味もなく全裸で登場するパフォーマンスが、一部のお笑い好きの間で秘かに注目を浴びてもいたことも、その後の人気の土台になった。
彼の存在に再び多くの人が気づき始めたのは、2006年頃のことだろうか。長い雌伏の期間に仕込んだ芸を武器にして、彼は少しずつテレビ番組に出演し始めていた。石原軍団や哀川翔の物まねも人気を博していたが、やはり特筆すべきは、あだ名の命名であろう。特に2007年の8月に、「アメトーーク!」で、お笑いコンビ・品川庄司の品川祐に「おしゃべりクソ野郎」と命名したことは、多くの人の喝采を浴び、ついに2008年の3月には同番組の年間流行語大賞に選ばれた。このことが、やはり彼のブレークの要因としては最も大きかったのではないか。そして、今や彼は、現在の芸能界において、「あだ名の命名」という芸における第一人者の地位を獲得しつつある。

おしゃべりクソ野郎

特に、武田修宏の「スケベなタラちゃん」や柳原可奈子の「人造人間19号」に見られるような、相手の見た目を表現したものに関しては、毒舌とは全く別の非凡なセンスがあるようにも思えて、非常に面白い。

「毒舌キャラ」と「世渡りの天才」の二面性

2009年に入ってからの彼は、毒舌キャラが急速に確立し始めており、注目がますます高まり続けている。だが、毒舌を売り物にするというのは、一歩間違えれば視聴者にも同業者にもそっぽを向かれかねないリスキーな道である。しかし、彼はそのような芸を売りにしていながら、一方で多くの同業者に不思議と好かれている節も感じられるのである。

それ故、はてなブックマークでは、有吉の世渡り術に興味を持っている人も多いようだ。これについては、ダチョウ倶楽部の上島竜兵氏率いる「竜兵会」のメンバーへのインタビューで構成された『竜兵会―僕たちいわばサラリーマンです。出世術のすべてがここに』を紹介した以下のエントリーに詳しい。このエントリーでは、ビジネス書の書評で有名なこのブログの著者によって、有吉本人によって明かされた、圧倒的なまでの「こびへつらい」の手口が紹介されている。

【人心掌握】有吉弘行の人心掌握術がスゴすぐる件:マインドマップ的読書感想文

とは言え、やはりここまで自らの手の内を明かしてもそれが許されてしまうというのは、上のエントリーの著者が言うような生来持つ観察力の鋭さに加えて、特殊な経歴から来るキャラクターによる面も大きいだろう。

ちなみに、自らの毒舌について有吉本人はこう語っている。

「FLASH」で有吉弘行特集 - 死んだ目でダブルピース

自分では毒舌ではないと思うんですよ。現場の空気見て絶対怒らない人見つけて、そこに噛みついて、笑いがあったらその人も怒るに怒れないし。ま、いい湯加減で、プロレスみたいな感じですかね(笑)。

捨て身の「毒舌キャラ」を演じてみせながら、時に、このように自分を一歩引いた視点から見る醒めた目を持っていることをアピールする。これこそが、うるさ型のお笑いファンに彼が好かれる理由でもあるのだろう。これもまた世渡り術の一つかもしれない。
だが、ここまで毒舌に賭けられる彼の度胸はどこから来たのだろうか。これについて、例えば私たちは、ヒッチハイク体験や、天国から地獄への転落という憂き目を見てきたことによるのではないかと考えることができる。だが、どうやらこの話はもっと根深いもののようなのである。

ナンシー関が着目していた有吉弘行のふてぶてしさ - はてなでテレビの土踏まず
有吉弘行ができるまで - てれびのスキマ

上の2つの記事を読んで分かるのは、現在の芸人・有吉弘行の「ふてぶてしさ」は、おそらく我々の多くが想像していた以上に、生来の性格によるものであったということである。その事実が、果たして吉と出るか凶と出るかは分からない。ともかく、90年代の有吉と違って、何か今の彼には妙な大物感が漂っているように感じられるのだけは確かだ。ナンシー関が注目した「ふてぶてしさ」が、現代のテレビ界でどのように暴れ回って見せてくれるのか。まだまだ有吉からは目が離せなさそうである。


(タイトル画像は太田プロダクションの公式ホームページより)

文: 稲葉ほたて

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