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人は何故オバサンになるとお菓子を配り始めるのか -【はてなの風景59】



人は何故オバサンになるとお菓子を配り始めるのか

たしかに、おばさんは飴をくれるイメージがあります。とくに大阪のおばさんは飴をあげたがるというのが定番になっているようです。「おばさん 飴」で検索してみると、「ロシアの列車で向かいに座ったおばさんが飴をくれた」というツイートもありました。万国共通なのかもしれません。どうして飴をくれるんでしょうか。

投稿者の母親は「お礼なんじゃない?」と答えたそうです。しかし、何も感謝する必要のない初対面の人に配っていた例もあります。投稿者は「私も近いうちにお菓子を配り始めるようになるのだろうか」と書いています。はてなブックマークのコメント欄をのぞいてみましょう。ヒントがあるかもしれません。


「恐らく子育てを経たおばちゃんがそうなると思われる。子どもにお菓子をあげると喜ぶ。この当たり前の真理がオペラント条件付けにより母に刷り込まれる。子どもの喜ぶ顔が見たい、というその真心の延長線だと思う」

「左手からあめ玉を自由に出せる能力が発現するから」

「飴ちゃん配ってる。余計な世話も焼く。理由は不明。でも、結果としておばちゃんやオカンという皮を被ると、人生が楽になった。若い頃は細かいこと気にしてあんなに悩んで苦しかったのに、おばちゃんになると楽」

「甥っ子が出来てから気づいた。あれはコミュニケーションツールだ。年が離れれば離れるほど話せること少ないからね。仲良くしたいという意味」

「富の分配」

「コミュニケーションだよ」

「五十にして天命を知るとあるように、オバサンの天命は飴ちゃんやお菓子を配ることなんだよ」

「中学高校大学とお菓子配る友達は必ずいたしおばさんに限らないような」

「なんか1人で食べてたら悪いじゃん? それに配った方が、1人で全部食べちゃうよりカロリーも減るし」

「ゆりかもめに乗った時、向かい席の関西弁のおばちゃんが『騒がせてごめんな!』と言って、どこから出したかわからないあめ玉を、開いていたわけではない私の掌に、いつの間にか入れていて、あれは魔術だと驚いた」


とのことでした。


Title Photo by William Warby

文: 新野漸

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