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難解な物語に隠されたメッセージとは 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の考察エントリー



※以下の文や紹介するエントリー中には、映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の作品内容・結末に触れる情報が含まれています※

■ 「これがエヴァだ!」「誰一人成長していない」さまざまな声

分かりやすく前向きなストーリーだった第1作「序」、第2作「破」に比べ、難解な言葉や展開が多かった「Q」。ネットユーザーはそれぞれの視点から、「Q」の内容を解釈しています。はてなブックマークで話題の3つのエントリーをピックアップしました。

<Qは庵野監督の15年ぶりの“説教”>

間違いない。エヴァだ――『ヱヴァンゲリオン新劇場版:Q』(ネタバレ) - シロクマの屑籠

「Q」を「俺の知っている、あの『新世紀エヴァンゲリオン』だ!」と評しているのがこちらのエントリー。筆者のシロクマさんは、1997年公開の映画「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」を例に出し、総監督・庵野秀明さんの15年ぶりの“説教”が「Q」であると考察しています。

『まごころを、君に』には、「アニメなんかに引きこもっていないで現実に帰れ」「他者と向き合い、変化していくべき」といったメッセージが濃厚に含まれていた。対して『新劇場版ヱヴァンゲリオン:Q』は、同じ対象に向かって「君が他者から逃げ続け、メディアの子宮に閉じこもっているうちに、長い歳月が経ってしまったよ。」「自分の承認欲求に振り回されるだけの世界観は時代遅れ」と言っているように読める。(中略)15年前の碇シンジに自分自身をタブらせていたような人間が、もし、ロクに成長も変化もしないまま15年前と同じ「ガキシンジ」のままだったとしたら……そういう想像を、あの碇シンジの姿はかきたててやまない。

<来るべくして来た物語>

ネタバレあり!『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』について駄文 - くりごはんが嫌い

ブログ「くりごはんが嫌い」のカトキチさんは、「Q」を“来るべくして来た物語”だとするエントリーを公開しています。

「Air/まごころを、君に」のその後の話と位置付けた「Q」のストーリーについては、「『破』のラストでサードインパクトが引き起こされたことは明らかになっているんだから、その後の世界を描かないと旧作の『気持ち悪い』ラストは帳消しにならない」と肯定的。碇シンジが“ウジウジタイプ”に戻ってしまったことに対しては、「もし旧作が『自身がゲンドウに利用され、サードインパクトを引き起こしたことにたいしての自覚がなかった』物語だとしたら、『Air/まごころを君に』のその後の世界において、シンジくんがそのことを自覚して贖罪を背負って生きていくという改変はナイスアイデア」とも記しています。

<ディスコミュニケーションが生んだ悲劇>

ヱヴァQの話をしよう - 脳髄にアイスピック

一方、作中のコミュニケーションに注目し、「Q」の登場人物を“酷評”しているのがこちらのブログです。碇シンジに詳しい説明もないまま「ヱヴァに乗るな」と言い放つ葛城ミサトや、終盤で槍の違和感について黙りこくる渚カヲルらの言動について「誰一人人間的成長してないよ!14年間何やってたの、この人達!」「お前らのコミュニケーション不全で全てがブレイクダウンしてるよ」と厳しい感想を述べています。

エントリーには520以上のブックマークが付いており、コメント欄には「すげぇわかるw」「みんなが思ってる感想をまとめてくれた感じ」「言いたいことが全て言われてた。とにかく大人げない大人が多いことが印象的な映画だった」など同意の声が多く寄せられています。

■ シンジの言動やDATの目線から考察

次の2つのエントリーは、主人公の「碇シンジ」、碇シンジが持ち歩いている「S-DATプレイヤー」(DAT)から「Q」をひもといています。

<シンジは被害者から加害者になった>

『ヱヴァQ』感想 シンジ君は『Q』で底を打ちました - さめたパスタとぬるいコーラ

このエントリーでは、碇シンジの描き方に焦点を当てています。筆者のさめぱさんは、「エヴァに乗りたいのに乗れない」という従来とは異なるシンジの姿から、「Qでは違うことをやる」というメッセージを受け取ったそう。併せて、今まで不当に虐げられてきたシンジが、「Q」ではサード・インパクトを引き起こした“加害者”として扱われているのは、エヴァが「シンジが社会に認められるまで」を描く方向から、「シンジが社会に認められた後でどう生きていくか」を描く方向にシフトしたからと述べています。

「Q」で自分の“ダメっぷり”をなかなか認められなかったシンジについて、さめぱさんは「株は今回で地の底まで落ちました。これ以上は落ちようがないでしょう。ここからはもう、上がるしかないはずです」とまとめています。

<エヴァの主人公はDAT>

【ネタバレあり】『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 タツオ解釈DAT編 ~やはりDATは見ていた!~ | サンキュータツオ教授の優雅な生活

映画館に6回も足を運んだという、お笑いコンビ「米粒写経」のサンキュータツオさんは、碇シンジが肌身離さず持ち歩いているDATに着目。“劇場版の主役はDAT”と断言するサンキュータツオさんは、特に象徴的な描写としてDATが落ちたラストシーンを挙げ、以下のように考察しています。

このシーン、『彼女が、母親から、息子をうばう』シーンです。だからこそ、母は振り落とされなければならないのです。そしてこのシーンではじめてDATはシンジの手を離れます。それを印象づけるために、わざわざDATがどこにあるのか、今回の劇場版でもずっと明確されていました。DATは、依存するものではなく、振り払うべきもの、として描かれているかのようです。

■ 庵野監督の心情から「Q」をひもとく

総監督の庵野さんの分析から「Q」を考察しているエントリーもあります。

<ヱヴァは庵野監督の極めてプライベートなフィルム>

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を見たゼ! - 空中キャンプ

映画の感想エントリーが人気のブログ「空中キャンプ」では、「『スター・ウォーズ』の本質を理解し、新たな続編を撮れる作家はジョージ・ルーカス以外にも存在するけれど、『エヴァ』は庵野にしか作れない」という印象的な一文を記しています。エヴァを「日本最大のエンターテインメント作品」であると同時に庵野監督の「きわめてプライベートなフィルム」でもあると評し、庵野監督の立場から「Q」の感想をまとめています。

『Q』は抽象的、思念的な作品だが、庵野がつねに「居心地の悪さ」に対して執拗に反発しつづけてきたことを考えれば、今回の作品が持つ振り幅の大きさを理解する手がかりにもなるような気がする。なぜ新劇場版は今作でモードを変えたのか、その理由を考えていくのもたのしいようにおもう。

<庵野監督は、世界がアニメ化していることに困惑している>

STUDIO VOICESTUDIO VOICE(スタジオ・ボイス)

ライターの成馬零一さんは、雑誌『STUDIO VOICE』のWeb版に、「Q」は「『エヴァ』という作品からいかに碇シンジをリストラするかという試み」と記しています。

碇シンジは、総監督の庵野秀明の分身と言われるが、それ以上に視聴者。もっというとアニメオタク(あるいはエヴァオタク)そのものだと言える。作中「エヴァの呪縛」という台詞が出てくるが、『Q』の14年経っても子供のままの碇シンジや、外見はそのままだが、28歳のアスカという設定には、庵野監督や僕たち視聴者が『エヴァ』という作品に囚われたまま、14年も歳を重ねてしまって、精神的に何も変わっていないじゃないかという状況への苛立ちが伝わってくる。

また、渚カヲルのモデルとされている幾原邦彦監督のアニメ「輪るピングドラム」も例に挙げ、「庵野も幾原もアニメが持つ立ち位置が90年代と比べ大きく変わり、世界自体がアニメのようになってしまったこと自体に困惑している気持ちがそのまま出ている」と、作品の描き方から発せられるメッセージを読み解いています。

■ 次作はどうなる? 2ちゃんねるの考察が鋭い

最後に、鋭い考察で話題を集めている2ちゃんねるのまとめブログを紹介します。

http://alfalfalfa.com/archives/6078330.html

投稿した人物は新劇場版の英語のサブタイトルに含まれる「(NOT)」に注目しています。投稿によると、序、破、Qはそれぞれ、(NOT)があるバージョンと(NOT)がないバージョンの2つのストーリーがあり、パラレルワールドで起こるハッピーエンドルートとバッドエンドルートのどちらかを映像化しているとのこと。

  • 「序」……YOU ARE (NOT) ALONE.
  • 「破」……YOU CAN (NOT) ADVANCE.
  • 「Q」……YOU CAN (NOT) REDO.

序はおそらくNOTあり、破はNOTなし、QはNOTありで、完結編の「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」ではNOTなしの世界を映像化するのではないかと推測しています。


「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」は4部作を予定し、次作の「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」で完結するとされています。公開時期はまだ発表されていません。衝撃作だった「Q」から、果たしてどう展開するのでしょうか。

エヴァンゲリオン 公式サイト

文: タニグチナオミ

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