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本に囲まれた21世紀の「書斎」――「文喫 六本木」を体験してみた

「青山ブックセンター 六本木店」の跡地にオープンした「文喫 六本木」。それは出版および本屋の未来を模索する大手取次の野心的な試みである。

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2018年12月11日にオープンした“入場料のある本屋”「文喫 六本木」(文喫)。入口の自動ドアを抜けると、エントランススペース(ここは無料)が縦長に広がっている。受付は向かって右側。

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入場料は1500円(税抜)だ。受付が済むと、番号バッジを渡される。バッジの背面にはWi-FiのSSIDとパスワードが記されている。

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エントランススペースの一方の壁は一面、雑誌棚である。その数、およそ90種類。バックナンバーを格納するスペースには、しかし、バックナンバーではなく、雑誌のコンセプトに合致する本が1冊〜複数冊、置かれていた。雑誌を起点とした関心領域の拡大を選書によって駆動しようという試み。「ミステリマガジン 2019年1月号 ミステリが読みたい!」(早川書房)の棚を開けると、以下の5冊が。

  • 「快楽としてのミステリー」(丸谷才一、ちくま文庫)
  • 「殺す・集める・読む 推理小説特殊講義」(高山宏、創元ライブラリ)
  • 「探偵小説あるいはモデルニテ」(ジャック・デュボア、鈴木智之、法政大学出版局)
  • 「探偵小説の哲学」(ジークフリート・クラカウアー、福本義憲、法政大学出版局)
  • 「犯罪・捜査・メディア 19世紀フランスの治安と文化」(ドミニク・カリファ、梅澤礼、法政大学出版局)

丸谷才一のミステリエッセイは、その軽妙洒脱な文章と品のよいゴシップ趣味が綯い交ぜとなった素晴らしい読書案内で、紹介される作品には「殿下と騎手」(ピーター・ラヴゼイ)や「女には向かない職業」(P・D・ジェイムズ)、「エヴァ・ライカーの記憶」(ドナルド・A・スタンウッド)など懐かしの名作が目白押し。彼が書評を執筆した当時の翻訳ミステリ界の活況が感じられて、とても愉しい。「高山宏がミステリを批評するとこうなる」という思考実験の実際の結果である「殺す・集める・読む」もマニア垂涎の名著だ。コナン・ドイル、G・K・チェスタトン、江戸川乱歩、小栗虫太郎らの諸作品を媒介役に、推理小説を文化的な視点から読み解く奇想天外な論考群である。できることなら、この棚には、オールタイム・ベスト級の作品が何冊か入っていればよかった。偶然の出会いでもなければ、今どき、「樽」(F・W・クロフツ)や「幻の女」(ウィリアム・アイリッシュ)を手に取ることはなかなか難しい。

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中階段を上ると、選書室(有料エリア)だ。入口付近には、いくつかのテーマで選ばれた本が無造作に積み重ねられていた。

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「文喫」では、人文科学から自然科学、デザイン・アートに至るまで、約3万冊の本を販売している。これらの本はすべて店舗(運営は株式会社リブロプラス)によって買い取られている。多くの書店が採用する委託販売制度を採っていないため、ある種の古書店のようなユニークな棚作りがしやすい反面、返本ができないというリスクを許容しなければならない。ただ、「文喫」の事業主は取次大手の日本出版販売株式会社(日販)であり、選書サービスの提供主体も、同社の「YOURS BOOK STORE」という事業ユニットである(リブロプラスも日販の関連会社)。リスクを前提としながらも、取次大手として、新たなビジネスモデルの構築を目指す姿勢がうかがえる。

実際、「文喫」のサービスメニューリストを見ると、「定期購読」「配送サービス」「在庫検索」「ギフトサービス」「選書サービス」となっている。ユーザーが1500円という入場料を支払うことを合わせると、ビジネスモデルの中心に書籍販売を置いていると考えるのは難しく、むしろ、「文喫」というのは、「本を売らずにいかに本屋というビジネスを活性化させるか?」という困難な課題への1つの解答なのだと考えた方が自然な気がする。

たとえば、BtoBビジネスとしての「選書サービス」を利用した店舗のショーケースとして「文喫」を眺めてみると、ユーザーの動きは非常に興味深いものになる。

ソファに座って、ひたすら本を読んでいる人々がいる。彼らはお昼時になると、だいたいキッチンでランチを注文する。あるいは、オープンスペースでミーティングをする少人数の集団がいくつか(店内のBGMは小さく、または、かかっていない時もあるため、ミーティングを行うには使い勝手がよい空間だと思う。コーヒーやお茶は何杯でも飲める)。パソコンで仕事をしている人もいる。普通の本屋のように、棚の前で立ち読みをしながら、本を選んでいる人も、もちろんいる。

「文喫」のユーザーはここで本を買うだろうか? 本を買うことを目的に「文喫」に足を踏み入れるだろうか? もし、仮に本を買わないのであれば、ユーザーはなぜ、ここに来るのか? この問いに対するいくつかの答えを運営者は何度も何度も反芻したに違いない。

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「選書サービス」を利用した事業の成功例がいくつか思い浮かぶ。

株式会社ブルーノート・ジャパンがプロデュースする「Brooklyn Parlor SHINJUKU」は、幅允孝氏の有限会社バッハがブックディレクションを担当している。大音量で流れる音楽に身を任せながら、おいしい食事とお酒を前に、顔を寄せ合って、おしゃべりをする人たちで店内はいっぱいだ。「ブルックリンのカフェ」という空気感を再現する上で、店のコンセプトに合致した本の存在は、単にインテリアとしての役割だけでなく、来店する人々の意識を刺激する機能も持つ。お客さんのうちの少なくない人々が表紙を眺めるだけではなく、実際に本を手にとって、ページをめくっていた。

アトリエブックアンドベッド株式会社が展開する「BOOK AND BED」の選書は、合同会社SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(SPBS)の仕事だ。「泊まれる本屋」を謳うBOOK AND BEDが提供するのは「体験の再設計」という付加価値である。普段、わたしたちが何気なく行っている「読書」や「眠り」といった体験の価値を根本から考え直し、「寝落ちする時の気持ちよさ」というコンセプトを考案、それを宿泊施設のデザインディレクションやブックディレクションに応用していった。

本が売れない。どうすれば売れるのか?―― 出版社や本屋のビジネスモデルをめぐる議論の多くは、この問いに正面から答えようとするものだ。しかし、設定すべき問いを見直せば、違った答えを導けるかもしれない。「Brooklyn Parlor SHINJUKU」「BOOK AND BED」が本屋とは異なるのと同様、「文喫」もまた、本の委託販売をするという意味での本屋とは違う。彼らに共通するのは、わたしたちが本と共に過ごす体験の再設計を行った点にある。「Brooklyn Parlor SHINJUKU」をユニークなコンセプトのカフェだとすれば、「BOOK AND BED」は新しいタイプのホテルである。すると「文喫」は何になるのか。「文喫」利用者としてのわたし自身は、この空間を21世紀的な「書斎」だと感じた。

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キッチンがあり、ソファがあり、オープンスペースがある。1人で作業ができる机と椅子と電源があり、大きなテーブルが置かれた個室(研究室)がある。もちろん、トイレもある。「書斎」と呼ぶにはいささか広すぎる空間かもしれないが、個人、あるいは複数人で知的な作業を行う空間と考えれば、「文喫」という場は、わたしにとっては「書斎」として機能すると、実際にその場に身を置いてみて、実感した。

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なお、オープン日の前日に行われた内覧会では、喫茶室を使って、プレス向けの説明会とパネルディスカッションが行われた。今後はトークイベントなども企画されるだろう。SPBSやB&Bのトークイベントが1500円であることを考えると、「文喫」の入場料設定の戦略性がうかがえる。ともあれ、本に囲まれた空間を知的な情報交換の場として活用する動きは、「文喫」の登場でますます広がっていくのではないだろうか。

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店舗概要 「文喫 六本木」
  • オープン日:2018年12月11日(火)
  • 住所:116−0032 東京都港区六本木6−1−20 六本木電気ビル1F
  • アクセス:地下鉄日比谷線・大江戸線六本木駅 3・1A 出口より徒歩1分
  • 営業時間:9時〜23時(ラストオーダーは22時30分)
  • 定休日:不定休
  • 席数:90席
  • 入場料:1500円(税抜)
  • 公式サイト:http://bunkitsu.jp/
  • サービス:定期購読/配送サービス/在庫検索/ギフトサービス/選書サービス
  • プロデュース:YOURS BOOK STORE(日本出版株式会社)/株式会社スマイルズ
  • Bookディレクション:YOURS BOOK STORE(日本出版株式会社)
  • 店舗運営:株式会社リブロプラス
  • 事業主:日本出版販売株式会社

取材・執筆・撮影:谷古宇浩司(株式会社はてな)