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ネット時代の「報道」とは? 尖閣ビデオ流出事件に見る新たなメディアの生態系


■ 「尖閣のビデオがネットに!」 YouTubeに投稿され、瞬く間にTwitterで拡散していった

「作り物とは思えない」――そんな迫真の衝突映像がTwitter上で話題を呼んだのは、2010年11月4日未明のことだ。日本の巡視船に、しぶきを上げて大きく舵を切って衝突してくる漁船の映像は、深夜0時を回っていたにもかかわらず、瞬く間にRTを通じてTwitterユーザーの間で広まっていった。

2010年9月7日に起きた、尖閣諸島沖での漁船衝突事故。当初は強気の姿勢で中国側船長を逮捕しながら、中国政府からの釈放要求に検察決定を追認する形で応じ、衝突時のビデオを公開しようとしない政府の姿勢に不信を抱くネットの声は強かった。10月2日には今回の尖閣事件での日本政府の対応に抗議する大規模デモが行われたが、マスメディアでほとんど報じられることがなく、これも少なからぬ数のユーザーから強い不満の声が集まっていた。実際、このデモの国内外メディアの扱いを採り上げた2ちゃんねるまとめサイト「痛いニュース(ノ∀`)」の記事は、はてなブックマークで1000usersを超えるという高い注目を浴びている。

今回の流出事件は、そんな現政権とマスメディアへの不信感がともにネット上で高まる最中に起きた。この流出動画の情報がTwitter上で伝播しはじめると、すぐに「GIGAZINE」や前出の「痛いニュース(ノ∀`)」など大量の読者を抱えるネットメディアが、尖閣漁船衝突事故と見られる動画がYouTubeにアップされているとの報道を行った。ネット上でビデオ流出が話題になりはじめたのが24時過ぎだから(参考:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101105-OYT1T00887.htmによれば、投稿そのものは4日16時過ぎだったという)、ほんの1時間にも満たない間の出来事である。

こうした深夜のネットの盛り上がりの中で、テレビや新聞などのマスメディアはほぼ蚊帳の外にあった。もちろん、ネット配信のニュース記事は25時過ぎからポツポツと出はじめ、産経新聞記事のように、「恐らく本物だ」との海保関係者のコメントを取ってきて話題を呼んだ記事もある。

だが、全体として今回の事件の現場はネットにあり、多くのマスメディアが後追い報道に終始したという印象はぬぐえない。

■ 堅実な分析と検証 今回の事件でマスメディアが果たした役割

<ネットで一次情報が流れたことへの衝撃>

今回の事件がこれほど多くの人に衝撃を与えたのは、一次情報へのアクセスと速報性という、これまでの報道が得意としてきた機能を、少なくとも本件に関してインターネットが出し抜いてしまったという事実にある。無論、これまでにもネットの速報性が優位とされることはあったが、それらの多くは新聞社や通信社がネットで配信する記事によるものであった。また政府が「公開しない」としていた一次情報が明確なリークの意図でネット上に流れ、これほどの話題を呼んだのも、日本のインターネットでは初めての出来事といえるだろう。

ジャーナリストの烏賀陽弘道氏はJBpressに寄せた記事で、事件翌日の夕刊を見た際の感想をこのように述べている。

しかし、夕刊を読んでいて愕然とした。記事が紹介する「ビデオの内容」を、全部すでに知っていることに気づいたのだ。そういえば、記事の見出 しは「尖閣ビデオ、ネット流出」とある。私が前の夜にマックで見ていたビデオが「直接情報」で、新聞の報道はそのビデオの記事、つまりは「間接情報」なのだ。

しかしながら、インターネットにおけるこうした一次情報のリークという事例や情報伝播の速度をもって、ネットの媒体力がマスメディアを超えたとするのは、もちろん誤りである。そもそもネットで普段のニュースを取得するユーザーはまだ少なく、年齢層にも偏りがある。新聞やテレビなど多くのユーザーにリーチするマスメディアの報道なくしては、この事件がこれほどの認知を国民から得ることはまずなかっただろう。

<一次情報の検証機能>

また、マスメディアの果たした役割という点では、彼らが担ったビデオ映像の分析・検証の役割も見逃せない。例えば、「とくダネ!」や「報道ステーション」などのテレビ報道では、翌日には専門家によるビデオ映像の検証報道を行っていた。こうした専門知による検証は、一定の信頼を得た報道機関が自ら責任を負う形で報じていること自体が、非常に重要な意味を持つ。
ネット上においても、実は下の2ちゃんねるスレッドやブログで同様の指摘は成されているが、その信頼性に責任を負える主体がいない以上、報道内容に疑問を挟むチェック機能は果たせても、それ自体にソースとしての価値を持たせるのはどうしても難しい。

実際、以下のTogetterでまとめられたいくつかのツイートにもあるように、情報伝播という点で大きな役割を果たしたTwitterにおいては、一方で陰謀論を真剣に唱えているかのような意見も少なからず見受けられた。ネットにおける言説はどうしても玉石混合となることを免れ得ないし、そこから玉を選り分けるにしても、結局のところ責任ある判断を下せる立場の専門家に頼るしかない。今回の事件でこの分析・検証というジャーナリズムの重要な役割を担ったのは、もっぱらマスメディアであった。

とはいえ、こうした作業が現状のネットメディアに難しいということはない。問題は、こうした話題を読者がネットメディアに求めているかという点に尽きるのではないか。

■ CGMと「情報源の秘匿」 Webサービス事業者に突きつけられる課題

<Googleへの捜査令状>

むしろ本件で本当にジャーナリズムという観点から問題視すべきは、Google日本法人による東京地検への情報提供の話かもしれない。報道によれば、Googleは11月8日の時点で、検察の捜査に協力姿勢を見せたということになっている。この問題についてはブロガーのfinalvent氏が検察の捜査令状にどのような法的根拠があったのかという疑問を記している。

しかし、そんな前提を暗黙に立てちゃっていいものだろうか。なるほどユーチューブでは報道に対する編集はしていない(広告は付けているけど)。だが、独自の判断で掲載の認可を行っている。つまり、ある情報が世界に報道されることについての責任の一端をグーグルは明確に担っているのはたしかだ。これは広義に 報道であり、投稿者は広義にジャーナリストだろう。特定の個人の名誉毀損を狙った情報拡散ではなく、国家機密とされる情報の是非を国民に問うことにもなったのだから。
あまり話を大げさにしたいわけでわけではないが、これは日本のジャーナリズムの危機なのではないか。であれば、民主主義の危機ではないのか。

なお、11月23日放映の、ニコニコ動画の公式生放送特番「激震!尖閣映像流出とメディアの未来 」で、出演者から「捜査機関からのリーク情報をそのままメディアが書いているだけではないか」という指摘があったように(参考:激震!尖閣映像流出とメディアの未来 - 2010/11/23 21:00開始 - ニコニコ生放送の1:43:45頃より)、Googleがどのような形で捜査協力したかは実は明らかになっていない。だが、もし情報源を特定するような協力を、CGM(Consumer Generated Media)を提供する企業が易々としてしまったのであるとすれば、そこに重要な論点が一つある。

<CGMと「情報源の秘匿」>

それは、CGMという、ここ数年登場してきた全く新しいタイプのWebサービスを、単なるコミュニティサービスと見るか、それだけに留まらないメディアとしての価値を持つと見るのか、という点である。もしこれが単なるコミュニティサービスではなく、報道メディアとしての機能をも担っていくのならば、ジャーナリズムの基本倫理である「情報源の秘匿」についての態度決定を迫られねばならない。

今回のGoogleによる情報提供を受けて、朝日新聞名古屋本社の記者である神田大介氏がリークする情報のマスメディアへの提供をTwitter上で呼びかけ、これもまたネット上で大きな議論を呼ぶことになった。

機密情報を収集して公開するWikileaksのように、情報源の秘匿を目指すネットメディアもあるが、少なくとも日本で、今回の事件の経緯を見る限りでは、ネットに内部告発をリークするのは危険であると判断するのは妥当そうだ。

なお、11日25日のニュースでは、sengoku38氏がYouTubeへのアップロード前にこのビデオ映像を収めたSDカードをCNNに送付していたと供述したとする捜査関係者の話が話題になった。CNNからは「警備上の指針に従って破棄した」とする声明を出した(参考:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101125-OYT1T00917.htm?from=y10)。今回の事件は、マスメディアとWebサービス事業者双方に対して、新しい課題を突きつけたといえるだろう。

■ 「報道」という社会機能の空中分解と、ネットが担ったこと

筆者はここまで、ネットとマスメディアを対立するような存在として語ってきた。この対立構造で見ることをやめ、単純にユーザーの利得という見地に立つなら、別の見方が見えてくる。今回の報道においては、テレビ・新聞・ネットが、それぞれの特性を活かし、互いの弱みを補って協力し合いながら、sengoku38氏の投稿した動画を広めていったという見方もできる。

津田氏は本紙の取材に「流出だけではジャーナリズムではない」とも話す。
「今までは今回の映像のような『一次情報』を引っ張ってくるのがメディアの使命だった。今後は、一次情報が先にネットに出る時代が来る。その情報に対して、どれだけ多角的に検証を行えるかが、マスメディアの存在価値になる」

上に挙げた記事では、6日早朝の「新・週刊フジテレビ批評」に出演した津田大介氏によるコメントが掲載されている。玉石混合ながらも速報性に長けたネットと、拡散した情報の裏取りで力を発揮したマスメディアによる“連携プレー”だったといえる。

そうした点では、ネットによるマスメディア報道への批判的検討もまた報道を補完する役割を果たしている。

上に挙げたジャーナリストの上杉隆氏による記事では、彼が「記者クラブメディア」と呼ぶマスメディアが、政府と一緒になって犯人捜しを行うような報道に終始している点を批判している。下のニコニコ動画における公式生放送は、流出の発覚翌日に、民主党の川内博史議員やビデオジャーナリストの神保哲生氏が今回の事件について議論したもの。単にガバナンスの問題や犯人捜しへと議論を帰着させるのではなく、民主党政権の外交手法への国民の危機感や不信感といった、大きな主題へと議論をつなげた。

もちろん、こうした微妙なバランスにもとづくメディアのポジショニングが、この先どんな方向に振れていくのかは、おそらく誰にもわからない。筆者には、新旧メディアの新たな争いの火種ではなく、「報道」という社会機能が分解して、新旧それぞれのメディアが、自らの強みを活かして連携プレーを決めたように見える。少なくとも確かにいえるのは、YouTubeに動画を投稿された2010年11月4日、sengoku38を名乗る海上保安官は、この動画がネットで広まり、だれかによって本物であると検証され、日本中で広く知られる――このような連携プレーに賭けていたことだ。

文: 稲葉ほたて

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