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日本人少年の実体験? 話題を呼んだボスニア内戦体験記への反応


■ 「ボスニア内戦」真っただ中での逃避行

http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-1351.html
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-1352.html
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-1353.html
(語り手による文章のみを抜粋したエントリーを読みたい方は、「http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20100601/p1」を参照のこと)

この体験談は、90年代初頭、母親に捨てられた「祐希」という名前の少年が日本からボスニアの研究機関で働く父親の元に向かうところから始まる。

しかし、そこで現地の子どもたちと仲良くなり、宗教も民族も異なる彼らと友情や淡い恋心を育んでいた彼の生活は、中盤に入って一変する。戦火がついに彼の住むカリノヴィクにも押し寄せ、以降、祐希氏は友人たちとともに逃避行を続けながら、彼らが次々に紛争の犠牲になっていく姿を眼の辺りにすることになるのだ。

例えば、ある少女は地雷を踏んで爆死して腕だけを遺し、またある少女は主人公たちをかばって暴行されて軍に連れ去られていく。空腹に耐えかねた主人公たちが友人の死体を食べるシーンもあり、眼を背けたくなるような凄惨なエピソードも決して少なくない。一方、こうした極限状況下で人々が互いを思いやる情景を描き出した場面もあり、それらは実体験として語られていることで、私たちの心に強く迫ってくる。

この文章が話題になったのは、ボスニアの内戦状況下における惨劇を子供の視点を通して描き出したノンフィクションとしての価値と同時に、こうした戦乱の中における人々の姿を生々しく描き出した点も理由として挙げることができるだろう。

■ 物語の背景を知るために

<複雑な民族構成を背景に持つユーゴスラビア紛争>

この物語で主人公たちを襲った戦争は、90年代にバルカン半島で勃発した、「冷戦後最大の紛争」とも言われた「ユーゴスラビア紛争」である。ユーゴスラビア連邦からの独立を掲げ、複数の民族が互いに「民族浄化」を行ったこの紛争の背景には、古くは東西のローマ帝国に挟まれて、その後も異なる宗教を背景とした文化圏のはざまに位置してきた、この地域の地政学的条件の問題がある。複数の民族の運命が複雑に絡み合った、この地域の長年にわたる歴史のややこしさは、日本で育った人間には理解しがたいものがあるが、はてなブックマークの中では、例えば以下のエントリーが参考になるだろう。

「ユーゴスラビア」政治の歴史 [社会ニュース] All About
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20080824/1219582668
あんそく やる夫で学ぶ旧ユーゴスラヴィアの歴史 前編

<物語の舞台になった地域>

この物語の舞台となっているのは、そのユーゴスラビア紛争において、最も戦乱の激しかった場所の一つである、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の起きた地域である。


GoogleMapsより。作中で名前が出てきた地域を赤く囲んでいる。

主人公たちがこの物語で辿った道のりを現在の地図と照らし合わせると、現在のスルプスカ共和国の範囲内にあることが分かる。主人公たちは戦乱から逃避しようとしたものの、結果的にはセルビア人による民族浄化の最前線から逃れられなかったのである。

フォチャの虐殺 - Wikipedia

それどころか、中盤でサニャが地雷を踏んで爆死したフォーチャで、彼らは国際戦犯法廷で「ジェノサイド」と認定された「フォチャの虐殺」と呼ばれる非セルビア人に対する大量殺戮に出くわしている。こうした彼らの足取りについて知っておくことで、この物語への理解はさらに深まるだろう。以下のまとめサイトには、そうした理解の助けになるような資料をユーザー有志が集めているので、興味のある方はぜひ読んでみてほしい。
戦争の体験談を語るわ まとめ - トップページ

■ ネットユーザーはどのように受け止めたのか?

はてなブックマーク上では、6月11日の元・2ちゃんねる管理人の西村博之氏による、この記事を紹介したエントリーが話題になって以降、ユーザーによる注目が一気に高まり、現在では1800を超えるブックマークが集まっている。

日本に生まれたのは、単なる偶然だよね。 : ひろゆき@オープンSNS

ここでは、そんな1800を超えるブックマークの中から、いくつか意見を採り上げて紹介してみたい。

<凄惨な物語に驚いた人の意見>

  • ここ最近で、こんなに衝撃が大きいもの読んだり聞いたりした覚えが無い。
  • 読みながら心は揺さぶられたが、圧倒的な外野感しかなくて困った。外野の俺は何をすればいいのか考えてみる。
  • 内戦の悲惨さは報じられないわけではなかったが、やはり体験者の話はリアルだ。紛争によって引き裂かれてしまった子どもたちの運命が辛い。

ユーザーの声で最も多かったのが、やはりその凄惨な内容に驚いたという意見。同時に、当事者から発せられる言葉が持つ圧倒的な迫力に、外の世界から物事を見ることの限界について考えている人もいたようだ。

<主人公が日本人だから興味を持った?>

  • 釣りであろうとなかろうと、そこに日本人が登場しなければ異国の戦争話には興味さえ持つことが無い平和ボケ。自分の偽善っぷりにはうんざりする。
  • 映画「評決のとき」で、被害者の黒人少女を白人に置き換えた途端、白人揃いの陪審員が同情を示す場面がある。この話に心震わされた俺たちは彼らの同類。他者の苦難を自分に置き換えて考える力をもっと養おう。

一方、主人公が日本人であったが故に我々が興味を持ったのではないかということについて考え込む人もいる。実際、ボスニア紛争については、テレビでも報道されており、それを題材にした映画や書籍も決して少なくはない。下のエントリーは、そのことについて苛立ちを述べたものである。

えーっと、ちょっろメタブックマークにも書いたけれど、いくらなんでもこのエン... - 一連の「戦争の体験談を語るわ」シリーズに付いてブックマーカーへの感想 - たさか - はてなハイク

<「釣り」ではないかとの疑惑>

一方、この記事には当初から実体験であると偽って書かれた「釣り」ではないかとの疑惑も向けられていた。例えば、この記事の数時間前に同一IDの人物が立てたスレッドでは、いかにもふざけた調子の書き方で冒頭部の文章が書かれており、それを根拠に疑問の眼を向ける人も多かった(なお、これについては本文が書かれたスレッド内で、彼自身がその意図を釈明している)。

http://www.unkar.org/read/yutori7.2ch.net/news4vip/1274223598

ただし、本文の内容について具体的な事実関係の間違いを指摘したものは、ほとんど無かった。むしろ多くのユーザーが述べているのは、真偽不明の情報を皆が信じ込んでしまうことへの、メディアリテラシーの観点からの慎重な意見である。また、この記事がこの紛争に興味を持つきっかけになったことから、「真実かどうかは重要じゃない」とコメントしているユーザーに、かえってそうした発言から垣間見える「無関心」やそうした発想の危険性に対して声を上げている人もいた。具体的には、例えば以下のコメントなどが挙げられる。

  • 論理的な真偽の検証はどんな時でも為されるべきではなかろうか。「事実であろうとなかろうと本質が大事」と言ってしまったらデマの拡散は防げない。/この記事を釣りと断言する気も無いけどね。
  • 「釣りかどうかはどうでもいい」と言う人々こそクロアチアのCMみたいのに煽動されるんではないかと思うわけだが、しかし釣りだと仮定してもこの長さとこの内容で釣る動機がわからん。

■ 祐希氏による”「釣り」宣言”?

だが実際のところ、この体験談は本当に事実だったのだろうか?

実はこの記事が話題になってから数日後、祐希氏は2ちゃんねるに再度登場し、「これは自身の実体験ではない」というコメントを残していたのである。

http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-1358.html

112 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage]:2010/06/14(月) 01:07:12.72 ID:NjK0YLoo
最後に投稿してから20日近く経過したので、そろそろ書こうと思います。
まず、始めに結論から話します。俺が書いた内容は「フィクション」です。
それについては、今から書きますので、少々お待ちください。
ここで読むのをお止めいただくのも、皆様の自由ですが、最後まで読んでいただければ
幸いです。

ただし、実際に読み進めていくと、この言い回しは少しオーバーなものであると分かる。彼によれば、オーストリアで知り合った、日本人の母とボスニア人の父を持つ友人から聞いた体験談を、彼なりの編集によってあのような文章に仕立て上げたとのことである。「怪しい部分」を除いて、ほとんど内容は変えていないとのことだが、以下は創作であると認めている。

  • 主人公が日本人男子であるということ
  • 村の人が主人公を取り囲んで、ルイ・アームストロング『この素晴らしき世界』を歌うシーン

実際のところ、匿名掲示板で発言されている以上、彼のこうした言葉ですら真実かどうかを確かめる術はない。だが、彼自身は以下のように述べて、むしろこのようにフィクションか否かが容易には分からない状況こそを望んだのだとしている。

疑い調べ、考えずに判断するのは、将来自分に降りかかってくるんだ。勿論、話を読んで反応なり自分の中で考えてくれたものに、間違いなんてものは存在しないんだ。ただ、「自分で調べて考える」+α(行動する)という事が、如何に重要かを、普段意識していない人には、意識して頂きたかった。普段から考えている人にしてみれば、とんだ災難だったと思う。それはこの場を借りてお詫び申し上げます。ごめんなさい。

あえて疑いを持たせるような描写を混ぜることで、ユーザーに考えるきっかけを与えたいという意図があったというのが、彼の釈明である。その意図がどこまで成功したのか――つまりどれほどの人がこの物語に感動するだけでなく、あるいは釣りか否かを論争するだけでなく、実際にユーゴスラビア紛争のことを調べてみたのかは分からないが、はてなブックマークでは以下のようなコメントが見受けられた。

  • ここに書いてあることも疑惑を持ってしまう……。てか、なんで「自分で調べろ疑え。疑わせるためにフェイクを入れた」って話になってるのw 都合良すぎ
  • どんな話でも多かれ少なかれ真偽ないまぜになっている。その中から真の部分を見分けることが重要なんだろうな。真偽なんてどうでもいいとか言ってると偽の部分に乗せられかねない。
  • 釣り乙。お前のせいで虐殺を描いたノンフィクション本を図書館で借りてしまったじゃないか。非常に鬱な内容で凹む。
  • 情けないのは「日本人が体験した」っていうことにしないとここまでの関心・興味は喚起されなかったかもしれないということ。今日、キルギスでのキルギス人とウズベク人の対立による死者数の増加が止まってない。
  • 結局「苦しんでる少年」はいたのか。

文: 稲葉ほたて

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