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二条城・唐門、天皇家の「菊紋」の下から徳川家の「葵紋」見つかる サイトで写真公開



二条城二の丸御殿唐門・築地保存修理工事完成及び唐門開通について ―菊紋の下に隠された葵の御紋―(PDF)

二条城では2011年から、工期20年間の予定で本格修理事業が進められています。その第1弾として、2011年12月から唐門の保存修理工事を実施。飾金具や彫刻の修理、漆塗の塗り替えなどが行われました。

菊紋の下に隠されていた葵紋は、修理で飾金具を取り外した際に発見されました。元離宮二条城事務所によると、1973年から1975年まで行われた前回の修理時に、破風飾金具では菊紋の裏に葵紋があると判明していたとのこと。しかし、垂木鼻先金具での確認は「新発見」といえるそうです。

二条城は、京都御所の守護と上洛の際の宿泊所として、江戸幕府の初代将軍・徳川家康が1603年に造営しました。唐門が完成したのは1625年で、二の丸御殿南側築地塀に建てられています。徳川家の城であった二条城は、15代将軍・徳川慶喜による1867年の大政奉還を経て、1884年に宮内省の所管に。葵紋から菊紋へ移り変わった時期は定かではないものの、城の主人が天皇家に変わった明治中ごろとされています。

唐門の保存修理工事は終了し、8月28日(水)から再び一般公開が始まりました。同事務所は「江戸時代から明治時代へ。激動の歴史をその身に刻む唐門を、保存修理工事完成の機会に是非御覧ください」と呼び掛けています。

文: あおきめぐみ

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