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アイドルの“広報担当”になりたくて ジャニヲタの文章が熱いのはなぜ?――ジャニヲタの団扇の向こう側vol.3



前回の記事では「ジャニヲタのブログ文化が浸透した理由」を書かせて頂き、寄せられた様々な反応を見て、私自身もあらためて現在のジャニヲタブログ文化を捉える良い機会となった。では今回はもう少し深く掘り下げ、「そもそもなぜジャニヲタは書くのか」「またそこに凄まじい熱量が注がれているのはなぜか」という視点でジャニヲタ文化を考えてみたいと思う。

■ “おしゃべり”が好き

まず大前提として、ジャニヲタが「女子」の集団であることが理由として挙げられると思う。勿論男性ファンもいらっしゃるかと思うが、大部分は女性が占めている。

女という生き物は、自分が好きなものの話に限らず、集まっては時間の許す限りあれこれとおしゃべりするのが好きだ。しかしながら、「ジャニーズ」という限定的な趣味を持っている女友達が、誰しも自分の周りに居るとは限らない。年齢が上がるにつれてその確率は下がっていく傾向にある。自分の好きなものについておしゃべりしたい欲望はあるものの、周りにそれを共有してくれる仲間がいない。そんな時に選ばれるのがインターネットである。

住んでいる場所が遠くても、年齢が離れていても、好きなものが同じという共通項があれば、他のことはインターネット上ではあまり関係ない。好きな人同士で、好きなものの話を共有したい、そんな思いでインターネットに集合し「書く」ことを始めるジャニヲタが多い。

■ 「担当」という言葉に秘められた責任感と“広報担当”

ジャニヲタには独自の用語として、「好きなジャニーズタレント」を「担当」と呼ぶ文化がある。この言葉の起源は諸説あるが、元々は追っかけの人たちが使っていた言葉らしく、そこからジャニヲタ全体の共通言語として今現在も広く使われている。「担当」という言葉の本来の意味は「一定の事柄を受け持つこと」であるが、「ファンが好きなタレントを応援すること」の意味で使うにはやや責任が重い気がする。ゆえに、ファンの間でも「担当」という言葉を使うのは厚かましいのではと、この言葉を積極的に使いたくないという人もいると思う。

しかし、ジャニヲタの熱量を上げている要因の1つは、この「担当」という言葉に含まれている責任感も影響しているのではないかと感じている。女子アイドルヲタ界隈では「推し」という言葉がジャニヲタでいうところの「担当」に当たると思うのだが、言葉から出るエネルギー量として「推し」よりも「担当」の方が重要な確定要素や義務的な意味合いが強く、責任が重い気がする。そんな言葉の持つエネルギーに巻き込まれてか、ジャニヲタの中には「好きなタレントの広報担当」になりたがる人が多い。

広報なんてジャニーズ事務所が十二分に行っているので、あえてファン側がそれを背負う必要など無いのだけれど、「○○くんのこんなところが素敵だからみんなにも知って欲しい」だったり、もっと率直に「売れて欲しい」だったりと、マネージャーレベルの意欲を燃やして広報する人も少なくない。かくいう私もTwitterを始めた頃は、その拡散力の強さにあやかり、多くの人に自分の好きなアイドルが届けばいいのに、と思いながらツイートしていた。「届いて欲しい」「売れて欲しい」と思えば思う程、文章には熱がこもる。実際に「ツイートやブログを見てこのグループに興味を持ち始めました」などと言われると、部屋で1人ガッツポーズをする程嬉しい。全体数から見ると微々たるものであっても、自分が好きなグループやタレントに対して何か少しでも貢献出来ることが嬉しいと感じるジャニヲタは少なくないのではないかと感じる。

■ 世間一般的な「ジャニヲタ」のイメージに対する反動

「広報担当になりがたり」というジャニヲタの性質の裏側で、これは少数派かもしれないが、「一般的なジャニヲタのイメージを払拭したい」という思いで書いている人もいるのではないかと感じている。世間一般的なジャニヲタのイメージを極端に言えば、「容姿の綺麗な男性に対して軽率にキャーキャーと叫んでいる現実を見ていない女性」というところだろうか。私もジャニヲタであることを告白すると、自意識過剰かもしれないが、たびたびそういう目で見られているような気がする。

何も考えずにコンサートに行き、普通の人が高いと感じるチケット代を払い、限られた時間だけ夢の世界に浸って帰ってくる。そんな非生産的な行動をとっていると思われているなら勘弁願いたい。ジャニーズのエンターテインメントには、飽きずに追いかけ続けられる引力があるのだ、と訴えたくなる。何も考えずにコンサートに行っている訳ではない、何も考えずに普通の人が高いと感じるチケット代を払っている訳ではない。そこへ行くにはそれ相応の理由がある。このように、ジャニヲタを一括りにして見てしまおうとする世間に対して「ちょっと待った」と手を挙げたくなる、ジャニヲタの一般的イメージに対する反動も少なからずあるのではないかと感じている。

■ 圧倒的な「読み手」の多さは「書き手」の意欲を上げる

ジャニヲタが他の分野と比較して圧倒的だと言えるのは、そのファンの数である。ファンが多いから「書き手」も多く、必然的に「熱量溢れる書き手」も多くなる。その一方で「読み手」もやはり多い。自分で書いてはいないけれど、定期的に読みにいくブログがいくつかあるという「読み手」専門のジャニヲタも沢山いる。

自分の好きなタレントのことを自分の代わりに上手く言葉で表現してくれる「書き手」のブログを読むことは、「読み手」にとって、場合によっては好きなタレントを見ている時よりも快感になることがある。この「読み手」の存在があらためて「書き手」の書くモチベーションを上げている。普通の日記を書いただけでは集まってこなかった読者が、ジャニーズのタレントの話を書くと急に集まってくるという現象もある。それだけジャニヲタは日々タレントに関する事柄をインターネット上で探し求めている。「読み手」がいるからこそ、「書き手」の熱量はどんどん上がっていく。ジャニヲタの中には、そんなエネルギーサイクルが大きく渦巻いている。

「あなたはなぜ書くのか」と問われるとその答えは勿論1つには絞れないけれど、私の答えの中で一番手前にあるのは「ジャニヲタの楽しさを知って貰う為」である。「知って貰う為」というと厚かましいかもしれないが、こんなに楽しいことを誰かに知らせずにはいられないのである。楽しいことは誰かと共有したい、どうせならまだこの楽しさを知らない人にまで届いて欲しい。そんな気持ちで「書く」を続けていて、こんな場所まで頂いている。

Hey! Say! JUMPの「Your Seed」という曲では、“好きなものを好きと言う勇気”について歌っている。「好きと言うこと」と「好きと書くこと」は、意外と勇気のいる行動である。その勇気を飛び越えて、眩いばかりのエネルギーを放ちながら書かれたジャニヲタの文章が、私は今日も大好きだ。

あやや

筆者:あやや(id:moarh
はてなブログ:それは恋とか愛とかの類ではなくて

2001年夏、堂本光一さんプロデュースのジャニーズJr.内期間限定ユニット「☆☆I★N★G★進行形」を見てジャニヲタデビュー。各グループのファンを転々とした後、2015年現在はジャニーズ事務所DD(誰でも大好き)として活動している。グループの最年少が大好物な高知在住27歳。

Twitter:@hraom

文: あやや

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