ジャニオタとして過ごしてきて「愛が重い」という言葉を耳にした回数は数え切れません。愛するタレントを思って遠く離れた土地のコンサートへ向かったり、時には苦言を呈したり。「なぜそこまでするの?」と言われることは多々ありますが「そうしたいから」としか返せないことばかりです。「愛が重い」ことが、ジャニオタの文化だといっても過言ではないでしょう。そんな「ジャニオタの愛の文化」が「担当」「担降り」という制度なのです。多くのジャニオタは、タレントを応援することを「担当する」といいます。なぜ「ファン」でなく「担当」なのか。また、なぜ「担当を辞める」でなく「担当を降りる」なのか。普段の生活では触れることがないという人にも、ジャニオタの世界を前後編で紹介できればと思います。
■ 「担当」するという言葉の重さ
「担当」という言葉は、ジャニオタの間で「○○くんの担当になる」「○○くん担当(略して○○担とも)」というふうに用います。女性アイドルファンでは「推す」「ひいきする」などの言葉を使うと聞きますが、やはりそれらと比べても「担当する」という言葉には不思議な重さがあるように感じます。
もともとは一部の熱狂的なファンの間で使われていた「担当」という言葉。今やほとんどのジャニーズファンが認識し使う言葉となっていますが、「使わない派」もいます。ジャニオタの中にも「ただのファンなのだから、担当という重苦しい言葉を使いたくない」という人もいれば「担当という一途なイメージのある言葉が好き。担当でありたい」という人もいるのです。
■ 「担降り」という現象のイメージ
そして「担当を辞めること」を「担降り」といいます。「○○くんから××くんに担降りする」というふうに用いるのですが、そもそもなぜ「担当を辞める」といわずに「担当を降りる」というのでしょうか。
これは、先輩タレントから後輩タレントへファンが移るという、上から下へ「降りる」というイメージに一因があるのではないかと考えられます。もちろん、後輩タレントから先輩タレントに「担降り」するケースもあるのですが……。上下関係のピラミッドの上(先輩タレント)から下(後輩タレント)へ担降りをする、というスタンダードなジャニオタとしてのスタイルが「降りる」という言葉が用いられる要因の一つなのではないかと推測されます。
■ 担当の数だけ担降りがある
一言に「担降り」といっても、その状況はさまざまです。大好きでずっと応援していきたいと思っていたはずなのに、ふいに他のタレントが気になってしまって……というジャニオタもいれば、応援していたジャニーズが急に退所してしまい、応援する対象がいなくなってしまった、というジャニオタもいます。100人いれば100通りのジャニーズとの出会い方があるように、100人いれば100通りのジャニーズとの別れ方があるのです。
■ たかが担降り、されど担降り
そもそもただのファンの心変わりに「担降り」なんて大仰な名前を付けて一大イベント化する必要があるのか? と考える人も多いかもしれません。ただ、ジャニオタが「担当」としてタレントを応援するのには、おそらく皆さんの想像をはるかに超えたお金と時間がかかっています。担降りを意識したジャニオタの脳内では、これだけお金も時間もかけた人から、安易に心変わりしていいのか?という一人会議が行われることもしばしばです。そして、かけたお金や時間の問題だけでなく、思い出もたくさん心に残っています。○○君が握手をしてくれた、コンサート中こっちを見てくれた……。そんな幸せな思い出も、応援する人が変われば、また新たに担当するタレントと一から作っていくことになるのです。
「担当」「担降り」という文化について、不思議に思う人もいるかもしれません。ジャニーズの長い歴史の中で、それを見てきたファンの中にも独自の文化が息づいているのです。
後編は、さらに詳しく「担降り」という文化に迫っていきたいと思います。次回もどうぞお楽しみに。